黒色ワナビーの住処

フリーゲーム・ブラウザゲームをやりながら筋トレで体を鍛えるブログ

映画版『永遠の0』視聴記(ネタバレあり)

      2014/02/15

映画版の『永遠の0』を見てきたので軽く感想でも書こうかと。ちなみに小説版のほうは購入したが積んでいるので比較に関してはまたいずれ、機会があればということで。

さてと、いきなり総評から入ると全体的によく出来ていたと思う。

『ALWAYS三丁目の夕日』などで有名な監督の山崎貴さんは、露骨に泣かせにくる演出で定評があるそうだが、なるほど確かに演出過剰といえるお涙頂戴な部分もあった。ただ事実としてその演出に泣かされてしまった身としては、概ね感動的な作品だったといわざるを得ない。

また卓越したSFXで描かれた空母や艦載機などの戦闘シーンはなかなかに迫力があり、それ目当てで鑑賞しにいっても楽しめると思う。もっともメインは卓越した零戦乗りであり特攻で命を落とした宮部久蔵とその周辺の人々とのやり取りを描いたヒューマンドラマであって戦争映画としてみると肩透かしを食らう部分はあると思うけれど。

そう、メインは宮部久蔵とその周りの人々であり、祖父である宮部の足跡を姉弟が辿る現代パートはあくまでおまけに過ぎない。作品を通してみても過去パートは概ね良い出来だと思うのだが、現代パートにはいろいろと首を傾げたくなる部分がある。

特に現代パートの合コンシーン。あれはどうにかならなかったのだろうか?
主人公である佐伯健太郎が友人たちとともに合コンに参加するのだが、あろうことかその友人、合コンの場で女の子たちに対し、「今こいつ特攻隊のこと調べてるんだぜ」と暴露。続けざまに「特攻なんて自爆テロと変わらない」と持論を展開。祖父を侮辱されたと感じた健太郎は「特攻と自爆テロは違う」と反論する。
突然そんな議論を始められた他の参加者たちは「私たちそういう話興味ないし」と傍観。そりゃそーだ。
それでも議論をやめない健太郎とその友人。しまいには健太郎が合コンを途中で抜け出してご破算といったこのシーン。
誰のスタンスで見ても苛立ちだけが募るのだが、もう少し別の描き方ってなかったのだろうか?

このシーンがあるせいといっては大げさだが、現代パートのラストシーン。祖父の真実を知った健太郎が街中を行く幸せそうな親子やカップルを見た後に、空に宮部が駆る零戦を幻視して号泣するシーンがあるのだが、どうにも平和を享受し幸せを謳歌している一般国民を咎めているような印象を受けてしまってどうにも盛り上がりきれなかった感はある。

健太郎の祖父、宮部は国のために勇ましく死ぬことが是とされていた時代に、家族のために生きて帰りたいと愛を訴えた男であり、また特攻に向かう若いパイロットに対して「君たちのような若者こそが生き残るべきだ」「戦争が終わったあとの日本はどうなっているんでしょう」と語るような男だった。

そういった宮部のことを知ったあとのラストシーンであるから、現代の平和を肯定するような形で終わって欲しかったのだが、どうにも一連の演出のせいで現代人は平和ボケしていて駄目だと言われているような気がしてしまったのは残念である。

まぁ、そう思ってしまった理由のひとつが作者である百田尚樹さんのここ数年の右よりな言動にある可能性もなきにしもあらずだが。

ここまで色々と文句ばかり述べてきたが、総合的な評価としては最初に書いたとおり満足のいく作品でした。過去パートはドラマとして良く出来ていたし、その戦争体験を主人公たちに伝える語り部たちもベテラン俳優が固めているため、ヒューマンドラマとしては本当に良く出来ていたと思います。

そんなわけでまだご覧になってない方は一度見られてみることをオススメ。その上でよろしければラストシーンでどういったメッセージを受け取ったかを教えてくだされば幸いです。

 - 映画