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マンデラ氏に見る光と影 | 新聞コラム斜め読み-2013年12月8日-

      2015/05/20

南アフリカの元大統領、ネルソン・マンデラ氏が12月5日に亡くなられた。逝去から数日が経ってなお、氏の偉業を称え、その死を悼む報道をあちらこちらで見かける。

産経新聞『産経抄』では、第一次世界大戦後のパリ講和会議で日本が提案した人種差別撤廃宣言が成立していた場合、アパルトヘイトは起こりえただろうか、マンデラ氏は27年もの投獄を強いられることはあっただろうかという歴史のifについて書き綴っている。

その上で、マンデラ氏の真骨頂はアパルトヘイト撤廃後の白人社会との融和であり、どのような歴史を経たとしても、南アフリカの国父として尊敬されただろう、とも。

毎日新聞『余禄』においても、マンデラ氏の偉業は「怨恨ではなく寛容を、報復ではなく和解を」求めた点にあるとし、人間の自由と尊厳、平和を求める全ての人々の心に希望を残して旅立っていったと述べている。

さて、お恥ずかしい話だがマンデラ氏について私が知っていたことといえば、南アフリカの大統領としてアパルトヘイトの撤廃に尽力したという教科書レベルの知識だけであった。

良い機会なのでマンデラ氏のことを少し調べて見た。

マンデラ氏は1944年にアフリカ民族会議(ANC)に入党。ANCの青年同盟を設立し反アパルトヘイト運動に従事。その後、ANCの副議長就任などを経てからウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)という軍事組織を設立。最初の司令官に就任するが、そのときの活動が元で逮捕される。マンデラ氏の不屈の象徴として紹介される27年の投獄エピソードはこの時のもののようだ。

1989年に当時の大統領フレデリック・デクラークと会談。釈放される。その後は全人種代表が参加した民主南アフリカ会議などを開催し人種差別の撤回に尽力。これらの活動が評価され、1993年にはノーベル平和賞を受賞している。

翌1994年には南アフリカ初の全人種参加選挙により南アフリカ大統領に就任。以後は教科書などでも取り上げられている内容が続く。

衝撃的だったのは2008年になるまでアメリカのテロリスト監視リストにマンデラ氏の名前が載り続けていたという事実。なるほど、確かに当時の白人至上主義の体制から見ればマンデラ氏の活動はテロ行為以外の何者でもないだろうし監視リスト入りも納得できる点はあるが、まさか2008年まで撤回されてなかったとは。こういう機会に調べでもしないと一生知らずに過ごしていたんだろうなと思う。

ちなみに『マンデラ テロリスト』あたりのワードで検索を掛けて見るとメディア報道とは違った一面が見えてくるかもしれない。もっとも大部分は陰謀論とすらいえない酷い記事だったりもするが。

アパルトヘイト撤廃後の失業問題、治安の悪化など南アフリカが抱える問題は今なお続いている。それでもアパルトヘイトの廃止は人種差別問題の解決に向けた大きな一歩であった。

目の前の問題を解決することで新たな問題が発生すると言うことは往々にして良くある。だからといって現にそこにある問題から目を背けることは許されない。結局のところ我々は問題の解決と創造という螺旋階段を一歩一歩昇ることでしか理想の未来へとたどり着くすべを持たないのだろう。

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