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教育現場における競争原理 | 新聞コラム斜め読み-2013年11月30日-

      2015/05/20

『元来試験を以てみだりに競争心を鼓舞するの具となすが如きは教育の法を誤りたるものにして、ことに二個以上の小学校の児童を集合して比較試験等を行い、ひとえに学業の優劣を競わしむる如きは教育の目的を誤るのおそれなしとせず』

11月30日付けの毎日新聞『余禄』は上述した一文から始まる。明治24年に文部省が出した文章だそうだ。

当時は比較試験と呼ばれる学力試験があり、郡や県単位で学校や学生の出来を比べていたらしい。その制度によって何が起こったかといえば、は事前の問題配布や教師による替え玉などによる不正の横行。

この結果を受けて先の勧告が文部省から出された。しかし、競争の過熱によるトラブルは1960年代の全国学力テストでも起こっている。

それら過去の教訓を踏まえて現行制度では全国学力テストの結果を公開していない。だが、来年度から文部科学省は学校別成績を公開できるように変更するそうだ。

この方針変更に対し、余禄では『「比較試験」の復活容認への方向転換は子供たちと学校の未来に何をもたらすのか』と問いを投げかけている。

同様の話題は、東京新聞『筆洗』でも取り上げられた。

こちらはコーン著『競争社会をこえて』の引用から始まっている。なんでも同じ問題を2つのグループに与え、片方のグループには個人間の競争を煽るような条件をつけ、もう片方のグループには各人協力して問題に当たるよう指示を与える。そうした場合、後者のグループのほうがいい結果が出るという。

このコラムでは教育現場に競争原理を持ち込んだ例として英国の話を挙げているが、その結果は先の日本の話と同じく、テスト対策に追われて教育の本質を失い、結果不正まで起こるというものだった。

いずれのコラムも過度の競争が子供たちに与える悪影響と、それによる教育の敗北を危惧する内容だ。
教育現場に過度の競争原理が持ち込まれることに対して否定的な内容であるが、一方社会に出れば競争や他社との比較というのは日常的に行われる。このギャップはどのように埋められるべきだろうか。

結局のところ、どう取り繕ったところで競争はなくならないし、その結果として勝者と敗者が生まれる。この構造自体は避けようがないわけで肝心なのは、そこで生じた結果をどう生かすかではないだろうか。

ユニクロの柳井正社長が言うGrow or Dieのように敗者を切り捨てていくスタンスを取るというのであれば、それを子供に押し付けるのは酷であると言わざるを得ない。

だが、そうでない競争もあると思うのだ。その可能性を今後探していきたいと思う。

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