黒色ワナビーの住処

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知りたがりどもの欲望にウィキペディアはどこまで応じる必要があるのかという話

      2015/06/07

色々と考えさせられる記事を見つけたので。

佐伯俊=toshでいいじゃないか!~むしろ、プロの二次創作・成人向け時代の作品が見たい僕には理解に苦しむ~

記事の内容は、ジャンプ漫画家、佐伯俊先生のウィキペディア上での扱いに対して苦言を呈したものとなっている。

佐伯俊の前歴と言われているTosh(成人向け作品を多く書いている漫画家)について触れていない一方、3ヶ月程度の短期間、アシスタントとして下に付いただけの漫画家のことを師匠として記載するのはアンフェアだと言うのだ。

まぁ、これはあくまで個人的な要約なので、詳細についてはリンク先の記事を実際に見て欲しい。

さて、この記事を読んだ際、私の中にある疑問が浮かんできた。
ウィキペディアに記載する内容はどういった基準で決めてるんだろうか、と。

百科事典を自称する以上、ある程度以上の客観性が求められることくらいは分かる。とはいえ、具体的にどういった基準で載せる・載せないを判断しているのかについて、これまで真面目に考えたことがなかった。

ネットを使う上で何かとお世話になるウィキペディア。ここらで一つ、編集基準について学んでみるのも悪くないと思ったのが本記事の執筆理由だ。

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ウィキペディアのガイドラインについて

Wikipedia:方針とガイドラインの一覧

ウィキペディアを利用する上でのルールは上記ガイドラインにまとめられている。
それらガイドラインの内、記事の作成・編集に直接関わってくるのが、「内容についての方針」だ。

この「内容についての方針」の中から、今回の疑問に関係しそうなものを抜き出すと下記のようになる。

Wikipedia:中立的な観点 – どんな視点で書くか、内容上での中立性
Wikipedia:検証可能性 – 記述内容の情報源を明示することの大事さ
Wikipedia:独自研究は載せない – 独自の考えを発表する場ではない
Wikipedia:存命人物の伝記

 

細かい内容はリンク先を見て頂くとして、やはりウィキペディアの記事作成にあたっては、どこぞの公共放送よろしく「公平・客観・中立」であることが重要となってくるようだ。

 

また、「存命記事の伝記」のページを見てもらえば分かるが、存命人物の記事作成にあたっては、上記の条件がより強く要求されるようである。

「存命人物の伝記」の執筆時には特段の注意を払わなければなりません。「存命人物の伝記」には一定の配慮が必要であり、また下記の基本方針を厳守しなければなりません。

Wikipedia:検証可能性
Wikipedia:中立的な観点
Wikipedia:独自研究は載せない

記事は「正確な」ものでなければいけません。特に、その人物の生涯の細部については、信頼性の高い参考資料だけを用いるべきです。存命中の人物に関する否定的な情報で参考文献や出典の無い、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです[1]。 これらの基本方針は伝記以外の項目における、存命人物の記述にも適用されます。

引用元:Wikipedia:存命人物の伝記

 

さて、以上の事柄を踏まえた上で、「佐伯俊=tosh」をウィキペディアに記載すべきかどうかを改めて考えてみよう。

 

「佐伯俊=tosh」の記載はウィキペディアに必要か?

参考のために2015年5月17日時点のウィキペディアの佐伯俊先生の記事のキャプチャを置いておく。(画像クリックで拡大)

ウィキのキャプチャ
キャプチャ元:ウィキペディア 佐伯俊 (漫画家)

 

冒頭で紹介した記事で問題視されていたのは、「Tosh時代の情報が記載されていない」「アシスタントとして短期間働いただけで、ミウラタダヒロ先生を師匠とするのはどうなのか」といった二点だ。

 

1つ目。Tosh時代の記載についてだが、これは検証可能な出典が存在しないため記載が出来ないようだ。実際、Tosh時代に触れたリビジョンもあったようだが、出典が無い(あるいは弱い)という理由でことごとく修正されている。

この件については前述したウィキペディアの編集方針である「検証可能性」や「存命人物の伝記」に記載されている要件を満たしていないのだから、記載出来ないのも致し方なしといったところか。

 

2つ目。ミウラタダヒロを師匠筋として紹介することの是非だが、こちらについては脚注の[3]にて出典が示されており、検証可能な事実として記載されていることが伺える。

もっとも「検証可能な事実」な事実が必ずしも「真実」でないことには留意するべきだろうが。

あいにく手元に『恋染紅葉』第4巻が無いので確認しようが無いのだが、巻末スタッフ紹介で「私は佐伯俊の師匠です」なんてことをわざわざ書くだろうか?

可能性の話だが、単純にアシスタントの一人として佐伯俊の名前が挙がっていたのを、執筆者が拡大解釈して「ミウラタダヒロ=佐伯俊の師匠」と書いてしまったことは考えられる。

まぁ、仮にそういった執筆者の曲解が含まれていたとしても、出典が明示されていれば出展元を参照してより正確な記述に訂正することは、そう難しくはない。

『検証可能性』すら無かった1つ目の問題点とは、問題の次元が全く違うと言える。

 

そう考えると、内容の正確さについては個別に検証する必要があるだろうが、記載項目それ自体はウィキペディアのガイドラインに即した作りになっていると言えるのでは?

 

冒頭に紹介した記事では、他の漫画家のウィキページを挙げ、「同人時代の活動履歴が書かれている漫画家が沢山いるのに佐伯俊だけ記載がないのはアンフェアだ(意訳)」と言っているが、今回ウィキペディアのガイドラインを見た限りでは、出典も示さずにその辺りの記述をしている他の記事の方が、むしろ問題だと思うのだが。

 

ウィキペディアはユーザーの『知りたい事』を提供する場ではない

まぁ、色々ごちゃごちゃと書いてきたけど、ユーザー視点・ファン視点で物を言わせて貰えば、漫画家とか小説家とかの前歴だとか別名義だとかを知りたいと思うことは普通のことだと思う。

でも、それって百科事典に書くべきことか?

別段、ウィキペディアの記事が常に正確で、真の意味で客観的で、そして何某かの権威を持っている、なんてことは思っていない。wikiサービスなんて突き詰めてしまえば一種の集合愚だと思っている。

それでも、ウィキペディアに特定個人の知的欲求を満たすために、根拠が不明瞭な、ゴシップめいた情報までも記載すべきかと言われれば、私はノーと答える。

百科事典には、あなたが知りたいようなことは載っていない。
あなたが知っているべきことが載っているのだ。

引用元:百科事典には何が書いてあるのか?

 

何かに対して役割以上のことを求めるのは止めようよ。それが事典であれ、人であれ。

――何でもは知らないよ。知ってることだけ。

 - 雑記