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【フリゲ】ゲームをするゲーム『SCE2』の何が凄いかを語る【82点】

      2016/02/27

タイトル:『SCE_2
ジャンル:ゲーム
点数:82点


久々に凄いゲームをやった気がする。

凄いといっても名作だとか大作だとか、そういった意味での凄さではない。

間違っても『SCE_2』はそういった類の作品ではないし、そのような形容で作品を表すこと自体に疑問を感じる。そんなタイプの作品だ。

それでもあえて『SCE_2』という作品を形容するならば、奇作といった感じになるだろうか。
一つ確実に言えることは、この作品のようなゲームを、私はこれまでやったことが無いということだ。

そもそもの話として、ゲームのジャンルが「ゲーム」って何だよってな話である。
初見では何かの間違いと感じるか、さもなくば作者の手抜きを疑うところだろう。

とはいうもの実際にこの作品をプレイした身からすると、このゲームのジャンルはなるほど確かにゲームとしか表現しようがない。ゲームをするためのゲームであり、同時にゲームとは何かということを問いかけてくるかのようなゲームである。

と言われても、未プレイの方には何が何やら分からないだろうが。

ちなみに、この「ジャンル:ゲーム」という表現は『SCE_2』の作品ページに出てくるフレーズだ。
この作品ページには「ストーリー紹介」や「キャラ紹介」のページも用意されているのだが、そちらを見ても抽象的な説明が僅かばかり記載されているだけで、さっぱり要領を得ない。

作品紹介ページを見ても『SCE_2』がどんな作品かは分からない。恐らく作者に理解させる気がないと思われる。

 

誤解を恐れずに言えば『SCE_2』という作品は色々と投げっぱなしな作品である。

説明の多くは抽象的であり、一つの世界の終わりはまた別の世界の始まりであり、結末が結末としてまるで機能していない。結局、「彼女」は何者だったのか? プレイを終えてなお、そんな疑問が残る作品だ。

裏を返せば、それだけプレイヤーの解釈が介在する余地の大きな作品だとも言える。そして、それは恐らく作者が意図的に作り出した余地なのだろう。

この作品にはプレイヤー自身をゲームの世界に引きずり込むための仕掛けが数多く用意されているのだから。

 

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結局『SCE_2』ってどんなゲームなのさ?

前置きが長くなった。ここらでそろそろ『SCE_2』というゲームの内容についても触れておこう。

この『SCE_2』という作品は世にも珍しい2ウィンドウを使うゲーム作品である。

ダウンロードしたゲームフォルダを開くと2つの実行ファイルが格納されている。

一つはそのものズバリ「sce_2」だ。基本的に我々プレイヤーはこちらの画面をメインにゲームを進めていくことになる。

SCE2プレイ画面

上記画像は「sce_2」実行中のプレイ画像だ。

画像だけでは何をやっているのか分かり難いかも知れないが、簡単に言ってしまえば「sce_2」は穴を掘るゲームである。

モグラと呼ばれる地中世界に住む住人たちを操り、延々と穴を掘っていく。穴を掘る過程で得た採掘品を元に装備品を開発し、その装備をもって更に深い階層を目指していく。言ってしまえばそれだけのゲームである。

 

本作品には「sce_2」とは別に「not_world」と呼ばれる実行ファイルも入っている。

SCE2プレイ画像

こちらについては何と説明すれば良いだろうか。
一言でいえば、「女の子」と会話する、ただひたすらに「女の子」と会話するだけのゲームだ。

実際にプレイして貰えば分かるが、この「女の子」自身もあるゲームをプレイしている。どうやらゲームには一家言あるらしく「not_world」を立ち上げるとアレコレとゲーム談義をしてくれる。

また「sce_2」についても何らかの関係があるようで、「sce_2」の方で詰まったときに彼女に助力を求めると、助け舟を出してくれたりする

というわけで、『SCE_2』という作品は「sce_2」というゲームで穴を掘りつつ、その合間に「not_world」を立ち上げては「女の子」とコミュニケーションを取る(といっても一方的なものだが)様な構造になっているわけだ。

 

で、『SCE_2』の何が凄いわけ?

このゲームの何が凄いかって言うと、それは2つの「距離感」に集約される。

1つは「not_world」に登場する「女の子」とプレイヤーとの距離感。
もう1つは、本作に登場する2つの世界(「sce_2」と「not_world」)と現実世界それぞれに付随する意識の距離感

 

1つ目の「女の子」との距離感から見ていこう。

この「not_world」に出てくる「女の子」だが、実にゲーオタのツボを心得たキャラクターとなっている。
舌足らずな声でどこか気だるげに独自のゲーム論を投げかけてくる女の子。これにグッと来ないゲーオタはいない(笑)

それはさておき。ゲームでもアニメでも何でも良いけど、オタクと呼ばれるような人種が何に楽しみを感じるかって言ったら、それは同じオタ仲間と互いの持論を交えているときだろう。

「俺が思うにこの作品のここはこうだね」とか「いや、それは違う。俺はこう思うね」とか「その解釈だったら、ここの部分はどう説明つけるんだ?」とかとか。

まぁ、オタクなんて呼ばれるくらいに特定分野に傾倒している人間っていうのは、少なからず一般人とは違うってことに誇りや喜びを見出していたりする

その一方で、傾倒する対象が他者が生み出した作品という外部性を持つ以上、自らの内部で閉鎖・完結させることが出来ないから、「一般との違い」を共有できる仲間を求める

オタク同士のコミュニティって言ってしまえば、大体こんな感じの動機から発生していくもんじゃなかろうかと個人的には思っている。

若干話が脱線したけど、「not_world」の「女の子」との会話は、オタク同士のコミュニケーションの空気感を上手く表現していると思う

哲学的・衒学的とも感じる独自のゲーム論を語りつつ、それでいて最後は「まー、どーでもいいけどね」と丸投げするような気だるい感じ。こんな感じのオタ、結構います(笑)

そんなこんなで『SCE_2』は一人でゲームをしているにも関わらず、オタク友達と「あーでもない、こーでもない」と雑談しながらプレイしているような空気感が味わえる稀有なゲームだ。

通常ならばゲーム外で発生するはずのコミュニケーションさえ、ゲーム内に取り込んでしまったゲームなんて、この作品以外には見たことも無ければ聞いたことも無い

 

次に2つ目の距離感、作品世界と現実世界それぞれに付随する意識について説明しよう。

これは私個人の持論だが、一般的なゲームにおいて、ゲームプレイ中の人間の意識とは次の二種類に大別されると思う。

一つは作品世界を俯瞰し、ゲーム内の出来事を物語として鑑賞するプレイヤー的な意識
もう一つは、作中に登場するキャラクターに感情移入することで、ゲーム内の出来事を自らが仮想体験したとする、いうなれば主人公の中の人としての意識だ。

言い方を変えれば、前者の意識が現実に属する意識後者の意識が作品世界に属する意識となる。

どちらの割合が大きいかは個人差があるが、基本的にゲームをやっている時の人の意識というのは、上述した二つの意識を行ったり来たりしている。

で、これが『SCE_2』の場合はちょっとややこしいことになる。

通常は、「現実→ゲーム世界」の2層構造だったのが、『SCE_2』では「現実→not_world→sce_2」の3層構造となっているからだ

「女の子」との距離感の項で述べたように、「not_world」といった次元の立ち位置は、現実におけるゲーマー同士のやり取りのそれに近い。

つまり、本来は現実に属するはずのプレイヤーとしての意識が、『SCE_2』では「not_world」の次元に属するような格好になる

作中キャラクターの代替としての意識は、当然「sce_2」に属することになるから、『SCE_2』という作品をプレイしている人間の意識は、「not_world」と「sce_2」の二つの仮想次元の間を行き来することになるのだ。

この「not_world」と「sce_2」の間にある距離は、「現実」と「その他ゲームにおける作中世界」との距離よりも近いと言える。何せ同じ仮想世界同士なのだから。

つまりは『SCE_2』という作品では、プレイヤーとしての意識とゲームの主人公としての意識との距離感が、他のゲームよりも近くなる。

この構造は本当に凄い。ハマれるかハマれないかについては個人差が激しいと思うが、ハマれたときの作品に対する一体感は他のゲーム作品の比ではない

ここまで来ると、「not_world」と「sce_2」はPC上に存在する2つの独立したウィンドウというよりかは、我々のゲーム観を映し出す鏡のようにも思えてくる。

それも2枚の鏡が向き合い、合わせ鏡となって、貴方の意識を取り込んで離さない。そんな魔性の鏡である。

作中作を用いることで、それを見た者の意識を取り込んでしまうという意味では、夢野久作の『ドグラマグラ』にも通じるところがあるかもしれない。

ドグラ・マグラ(上)(角川文庫)

 

『SCE_2』はどういった層にオススメ?

これまで述べてきたように『SCE_2』は作品世界への没入感が凄い作品であるが、プレイすれば誰でも必ずこの感覚を共有できるわけではない。

このゲームがどういった層にウケるのか。一言で説明するのは難しいが、一つの基準として「not_world」の「女の子」の発言に関心を持つことが出来るかどうかが大きなウェイトを持つように思える。

つまり、「ゲームとはこうだよね?」「こんなゲームがあったらどうなるだろうか?」そんな益体も無い話を楽しめるような気質の持ち主じゃないと、この作品をプレイするのはキツいだろう。

もっと言えば、この作品以外にも既に色々なゲームを経験してて、「なんか最近似たようなゲーム多いなー」とか「現実に何の利益もないのにゲームばっかやってて俺何してんだろー」みたいな葛藤を抱えつつ、「それでもゲームが好きだから」と言えるようなゲーマーならば尚ハマる可能性が高いと思われる。

と言うか、そういった葛藤を抱えているゲーマーに対しては、この作品はハマるというより刺さる。ザクザク刺さる。「女の子」の会話が笑えるくらいにクリティカル連発するから。

まぁ、要するにだ。こんな無駄に長くて所々に変な持論も入るような益体もないレビュー記事を飽きもせずに最後まで読み通せるような人には高確率で刺さる可能性が高いゲームだと思うよ。保証は出来ないけどね。

さて。締めの言葉は『SCE2』作品ページのトップから借りてくることにしようか。

ゲームを好きな今の自分と、

ゲームに夢見る未来の自分と、

ゲームが壊した過去の自分に。


『SCE2』のダウンロードはこちらから(作者の作品ページに飛びます)

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