黒色ワナビーの住処

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艦これアニメは歴史修正なんかじゃありません。ただ駄作なだけです。

      2015/06/07

先日、「艦これアニメは歴史修正主義だ」なんていう駄文を見つけた。

敗戦という史実を無視して艦娘達が勝利する「艦これアニメ」は歴史修正主義的であり、そのようなものに萌えている艦これファンは自己慰撫的思想にはまっている――

かなり端折ってはいるが、記事の筆者はこのようなことが言いたいらしい。

元記事:『とうらぶ』をネトウヨと結びつけるのは妄想…でも『艦これ』アニメは明らかに歴史修正主義だ!

この記事については、既に「現実とフィクションを同列に語るな」等と散々批判を受けており、今更自分が反論するのも面倒くさいがあえて言わせて貰う。

艦これアニメは歴史修正なんかじゃない。ただ駄作だっただけだ。

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艦これアニメは歴史修正主義か否か?

この記事の筆者が言うには、史実で敗北した海戦をモチーフにした戦闘で艦娘側が勝利するのは、歴史修正主義的な意思が働いているからだという。

敗戦へのターニングポイントになったとして有名なミッドウェー海戦を再現した戦闘で、一度、艦娘たちが負けそうになったところに主人公たちが駆けつけ、欠乏していたはずの物資が急に湧き、本来ミッドウェー海戦に参加できなかったはずの艦娘の修理が間に合って、歴史ではその2年後に就役するはずの大鳳が登場。犠牲を出さずに完全勝利するのだ。

以上が『艦これ』アニメの流れだが、そこからはどうしても、負けた戦争になんとかして勝ち、敗戦の記憶を塗り替えようとする意志が伝わってくる。

~中略~

国力の差を考えれば日本がアメリカに勝利する可能性など最初からなかったというのが常識的な結論だろう。

それを後知恵で「あのときああしていれば勝った」としてプライドを維持しようとするのはまさに、歴史修正主義的発想としかいいようがない。

 

確かに艦これアニメでは、物語終盤に進むにつれてご都合主義的な展開による勝利が多く見られた。だが、この事は筆者の言うような歴史修正主義とは全く無関係だ。

そのようなイデオロギー云々とは一切関係なしに、『艦隊これくしょん』というコンテンツの性質を考えれば、艦娘側の勝利による決着は必然だからである。

そもそも『艦これ』というコンテンツはブラウザゲームからスタートしている。
そう、艦これとはプレイヤーの存在を前提として作られたゲームなのだ。

ゲームである以上、プレイヤーの操作によって結果は変化する。レベルを上げ、装備を整え、しかるべき編成で作戦に臨めば高確率で勝利できる。

それが艦これというゲームだ。

これがプレイヤーの手腕に関わらず、ただただ史実の結果に基づいて勝ち負けが変化するゲームだったらどうだろう? とんだクソゲーの出来上がりである。誰がやるんだそんなもん。

詰まる所、艦これというコンテンツにおける勝負の勝ち負けは史実に依存しているのではない。プレイヤー=提督に依存しているのである。

また、艦これというゲームは戦略シュミレショーンゲームである以上にキャラクターゲームの要素が極めて強い。

自分の贔屓のキャラを育て、活躍させることに大きな意味のあるゲームで、史実だからと安易に艦娘を沈めたらどうなるか?

言わずもがな。それこそアニメ第三話で如月を沈めたときがいい例だろう。

史実のような大敗北を艦これで再現するという行為は、自らのコンテンツとしての存在意義を否定するようなものだ。

以上の理由から、艦これアニメにおける艦娘側の勝利は、歴史修正主義的イデオロギーによるものではなく、コンテンツの性質から導かれた必然だといえる。

 

艦これアニメが駄作の理由

折角なので、もう少し詳しく、艦これアニメにおけるご都合主義展開について考えてみよう。

アニメ終盤における視聴者置いてけぼりの超展開の連続は、シュールを通り越してギャグだったとしか言いようが無いが、どうしてあのような演出・脚本になってしまったのだろうか?

このような超展開になった理由は色々考えられるが、私個人としては、製作陣が「提督」という存在を扱いあぐねていた事が大きく影響しているように思える。

先に述べたように艦これというコンテンツは、提督=プレイヤーの意思決定によって展開が左右されるものである。

そのような傾向はアニメ艦これでも見られ、作中において史実から大きく外れるような展開となる場合には、常に提督の言動がキッカケとなっている。

まぁ、その提督の行動がちゃんと描写されていないことが大問題なのだが。

恐らく、提督=プレイヤーであるが故に、アニメ提督に明確な人格を与えるの事が憚られたのだろう。

結果、アニメ作中において提督自らが何かしらの行動を起こすシーンは描写されない。
長門などを通して、提督の考えの一端が提示されるのみだ。

提督の意思決定が物語の展開に大きな影響を与えるにも関わらず、その提督を描写することが出来ない。

このようなジレンマが、アニメ艦これを謎演出とご都合主義ばかりが目立つ駄作アニメにしてしまったと思われる。

 

結論と余談と

これまで述べてきたように、艦これアニメのご都合主義展開と、歴史修正主義なるイデオロギーとの間には何の関係も無い。

それにしても、こんな記事を掲載して、リテラは一体何がしたいのだろう。

元記事冒頭で、同じくリテラ掲載の刀剣乱舞と若者の右傾化を結びつける記事を批判しているが、とんだマッチポンプである。

ちなみに、その刀剣乱舞の記事では、朝日新聞に投稿された「艦これ」と軍国主義を結びつける記事の批判が述べられていたりする。

レッテル貼りの数珠繋ぎみたいになっていて頭が痛い。

あと、個人的な意見だが歴史修正主義という言葉を必要以上にネガティブなニュアンスで使う人はどうも好きになれない。

新しい史料の発見などにおいて、既存の歴史解釈を修正する行為自体は歴史を考察する上で必要な作業であって、必ずしも批判されるものではない。

今回は筆者に合わせる形で歴史修正主義という単語を用いたが、個人的にはネガティブな意味で歴史修正主義を語るときは、歴史捏造とか歴史改竄とかの別の単語を当てたい所だ。

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