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ロボットの知性と人類の無知性 | 新聞コラム斜め読み-2013年11月20日-

      2015/05/20

「第1条 ロボットは人間をしあわせにするために生まれたものである」
本日付の毎日新聞『余禄』は上のような出だしから始まる。手塚治虫著、「鉄腕アトム」に出てくるロボット法からの引用だそうだ。

このロボット法、上記以外にもいくつかの条文が作中に出てきているらしい。Googleで調べた結果以下のようなものがあるようだ。

・ロボットは人間に尽くすために生まれてきたものである。
・ロボットは人を傷つけたり殺したりしてはいけない。
・ロボットは作った人間を父と呼ばなくてはならない。
・ロボットは何でも作れるがお金だけは作ってはいけない。
・ロボットは海外へ無断で出かけてはならない。
・男のロボット女のロボットは互いに入れ替わってはいけない。
・無断で自分の顔を変えたり別のロボットになったりしてはいけない。
・大人に作られたロボットが子供になったりしてはいけない。
・人間が分解したロボットを別のロボットが組み立ててはならない。
・ロボットは人間の家や道具を壊してはいけない。

人間に尽くす、人間を傷つけたりしてはいけない等の項目は、この手のルールでは非常にポピュラーなものだろう。

『余禄』では比較対象として、アイザック・アシモフのロボット工学の三原則を引いているが、こちらも第一法則に「ロボットは人間に危害を加えてはならない」というように書かれている。

もう一度ロボット法を見ていこう。「男のロボット女のロボットは互いに入れ替わってはいけない」「大人に作られたロボットが子供になったりしてはいけない」などは非常にユーモラスな法律だ。その一方で、最初に規定された在り方から決して逸脱してはいけないというロボットの哀愁のようなものも感じられる。

ひとつ気になるのは「人間が分解したロボットを別のロボットが組み立ててはならない」という項目だ。ロボットが一からロボットを組み立てるのは問題ないのだろうか。あいにく作中でそういう部分が語られていたのかは知らないのだが、もしロボットが自らの判断で仲間たるロボットを製造できるのであれば、それはそれで恐ろしい話である。

話をコラムに戻す。『余禄』では、ロボット法を引き合いに出しつつ、現実の社会ではロボットに関する規範が存在していない点を指摘。来年5月に開催される特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)締約国会議に触れ、現実世界でのロボット法がいつ成立するのだろうかと問いを投げかけている。
感情なく人を殺すロボットに対し人類はどういった姿勢で向き合っていくのか、人類の英知が試される、と。

もっとも感情なきロボットに引き金を引かせるのは、あくまで使う人間の殺意である。結局のところロボットで人を殺すのも、銃で人を殺すのも、素手で人を殴り殺すのも変わらないのだ。

理想論に過ぎないことは重々承知した上で、手段の是非といった表層的な議論ではなく、戦争そのものに対して人類が今後どう向き合っていくのかといったところまで議論が深まることを期待したい。

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